不向き

こうやって日記を毎日書いていてとにかく思うのは「不向き」ということです。ほんとうはもっと千切れたものが書きたいのに、どうしても論評気どりのもの、転・結!なもののほうへと行ってしまう。だからといって「引用の織物」みたいなのが書けるわけでもないです。書かないのが一番いいのでしょうが、人間インがあったらアウトがないと息が詰まるのです。

 

不向き、で思い出しましたが昨日の若い友人(彼とは3回会ったので友人です)と小沢の話をしたのでした。小沢、と呼ぶのはただの検索避けです。この世には小沢警察というのが常にいて目を光らせています。林檎警察というのもいまして、「NIPPON」のときはずいぶんお世話になりました。

 

「不向き」と小沢と何の関係があるのかというと、小沢の曲でこちらが思わず泣いてしまうのは、彼がラブソングを唄うということが、何か「とんでもなく不向きなことをしている」という様子をどこかしら孕んでいるからだ、ということを思ったのです。文化祭に最後まで反対した生徒会長が、周りの熱意に押されて(絆されて?)最後にとうとう自らマイクを持った...みたいな、「自分でないものへと踏み込んでいく」感覚が常にあり、そこがああいう嬉しさと悲しさが混じったものへと転化されるのだと。もちろん彼が、常人越えの肺活量やギターテクニックを持っていると分かったうえでの実感です。そしてそういう意味だと、新曲の歌詞は、やっぱり昔の曲のような「不向き」さのダイナミズムは薄れていたなあというのが率直な感想なのでした。

 

ここでやっぱり出てくるのが星野なのです。星野、と呼ぶのは検索避けではなくただ嫌いだからなのですが、星野の芸能活動全般において彼の「不向き」を、一度たりとも感じたことがあったでしょうか。彼は徹頭徹尾「得意」の人です。小沢とは真逆なのだと、声を大にして言いたい。

 

若山

 

SILK

映画を観ながらギターの練習をしよう...と思っていたのに何故かSILK LABOの作品を借りてしまいました。そういう気持ちだったわけでもないのですが。しかし見だすとすごくギターの演奏に身が入るのでびっくりしてしまいました。これは恐らく、そこに映る美男美女の行為に、あまりに自分が関係が無いからと思われます。ぼくは美男になることも美女になることも美男に愛されることもありませんし、映像のなかの彼らは自分と関係なく勝手に楽しんでますので、こちらは堂々たる孤独です。だから演奏にとても集中できるのです。楽器練習に身が入らない!というあなた、この方法を是非お試しください。

 

今日はものすごく若い方と打ち合わせをしました。ある任意の年代についての話をしたのですが、自分が中学だった時に彼は5歳なのです。話が合わない部分から会話を成立させる(若い人のことはわからないね、という円滑な会話)ということもできるのですが、彼とはむしろ分かり合う部分が面白かった。

 

ぼくは埼玉で仕事をしています。東京と隣り合った県ですが、それでも東京とは普段生活している中で得る情報の量が違う。目白駅構内で見る若者は、高崎線車内でみる若者よりはるかに多様な店で洋服を買っているように思います。しかしだから「東京にいないと多様性が得られない」と言いたいわけではないです。東京の多様さは、もう一度繋がるための契機だと思っていて、そしてその「もう一度の接続」が、「東京ローカル」に基づくものであってはならないと思っているのです。

 

抽象的な話ですみません。しかしその若い彼とぼくはざっくりこんな話をして、そうだよねと分かりあったのです。

 

若山

 

日曜

音楽家の友達が、ものすごいビッグネームに混じってクレジットされているのを見て腰を抜かすほど驚きました。ずっと信念を持ち続けた、いちばんの努力家の友達です。大活躍してほしい。

 

身辺に色々な出来事が起こっています。明日のこと、年末のこと、20年、30年前のこと...と、色んな時の自分や世の中を考えたり、思い出したりする必要に迫られています。思い出がこれだけ溜まっているのに、健康に生きれば最低あと30年(ほぼ倍!)は、更に思い出がたまり続きます。なんとなく、背負いきれないような気もする。

 

いまぼくが都合良く忘れているのは、中学くらいから20代半ばくらいまでのことです。したがって子供の頃が今と接続している感じです。毎日鏡を見て、自分が30代であることに驚きます。ムダに年をとったという実感は、ひょっとしたら何かを大きく忘れているところに一因があるのでしょうか。

 

若山

 

めずらしくハヤカワ文庫なんか読んでいます(ハーラン・エリスンの新しく出たやつ)。会社の行き帰りで2時間くらいあるので、ぼくの読書時間はほぼその間なのですが、今日はあまりに本に入り込んでしまって、電車を降りてからもしばらく不思議な気分でした。「★」を聴きながら歩いていると自分の身体がエイリアンのように感じられて、駅から家まで変な動きをして帰りました。指をぐにゃぐにゃさせながら腕をすばやく上下させてみたり、普通に歩いていると思わせておいて急に肩をガクンガクンと腰のあたりまで下げてみたり...

 

ぼくは変な動きがとても得意です。虫やロボットになったつもりで過ごすこともたまにあります。「変身」のグレゴール・ザムザを森山末来が演じたのを見たことがあるのですが、なんというか、ほんとうに羨ましかった。肩を強張らせたまますごい高い位置にあげちゃって、虫みたいな虫なのです。説得力があります。虫の気持ちというのはぼくも時々考えるのです。焦ったりすんのかな、とか...いつか人前で虫になってみたいものです。

 

安心してほしいのですが、歩きながら変な動きをしている時も、人とすれ違う時は普通にするくらいの分別はあります。「安心してください!」と同じパンツ一枚のお笑い芸人(ぼくはパンツ一枚の芸人が全員好きです)、ハリウッド・ザ・コシショウのネタに「ヤバいサラリーマンのモノマネ」というのがあります。これはぼくと違って、人とすれ違う時に奇声を発します。ぼくと違って「コロス!」という過激な言葉です。

 

しかし何故でしょう。初めて見た時に「わかる!」と思ったのです。「自分もああいう時ある」と思ったのか、「ああいう人を見たことがある」と思ったのか。それとも両方か。

 

若山

 

アーチ

アーチに行こうかと思っていたのですが、疲れて行けませんでした。きっと素晴らしいパーティーだったでしょうね。

 

家に帰って、借りた「翔んだカップル」を観ていました。こういう映画の感想ってきっと「胸がキュンキュンする」とかなんでしょうが、どうだろう。よくわかりませんが、自分はひたすら重くなりました。リア充氏ねとかそういうことではありません。「映画の学校の風景」と「自分の学校の記憶」のあいだの距離は、「自分の学校の記憶」と「今の風景」よりも遥かに近いのです。自分は菅田将暉ではなく鶴見辰吾なのだとしたら、鶴見辰吾の「その後」は、ぼくのどこにあるのでしょう。

 

うまく年をとれずに未来に「固執」したまま、その実何十年も手も足も出ないおじさんというのがゲイの知り合いにはけっこういます。ぼくももうすでに、その手合いの仲間入りをしているのでしょうか。自分のなかに「悲惨さ」を認めるのはとても辛いのですが...これは無能な人間には仕方のない事なのですね。ひとりで噛みしめることにします。祖父母の家はもうありません。

 

若山

 

K

そういえばきのう書き忘れましたが、K-Popの新譜については、ぼくは毎年電流に撃たれっぱなしなのでした。沖縄のラッパーの友達が、mixiで少女時代の「Gee」を紹介していたのを聴いたのが最初だったと思います。彼女たちが日本語で歌いだすはるか前の話です。異物感・異国感よりも、むしろ日本の80年代(後期)アイドルとの連続性を感じました。ルックスや歌唱が、ではなくもちろん音がです。世界に向けてこそ逸脱している感じ。中山美穂の「ONE AND ONLY」、渡辺満里奈の「EVERGREEN」、ラ・ムーの「Thanks Giving」...ああした名盤のありようをそのまま歴史として積み上げていれば、案外同じような音になっていたのでは、と思います。

 

ずっと聴いていた2PM「GO CRAZY」は一昨年でした。去年はf(x)の「4 Walls」の中毒に(ご多分に洩れず)なりました。Red Velvetも去年ですね。そして今年の1枚、というと...現時点ではやはりテミンになるのかなと思います。こんなことを書くのは気持ち悪いのですが、Youtubeで「MUSIC BANK」や「KBS MUSIC」の映像を見るたびに泣いてしまうのです。ぼくは勉強不足なので、テミンがどんなキャラクターで、ソロ活動にあたってどんなドラマを持っているのか一切知りませんし、歌詞もわかりません。しかしそれでも、「Press your Number」を他でもない、ディスプレイの前の自分のために歌ってくれていると「誤解」することができるのです。腰回りの動きや、シャツインした絶妙にスキニーな衣装、カメラの旋回と同時に動いてゆくダンサー含めたパフォーマー全員の視点によって。

 

それらすべては「ただそこに」あります。ぼくは、その裏にあるドラマは知る必要がないのです。

 

若山

 

電流

今日は新しく作るZINEの打ち合わせをしていました。考えすぎない、作りこまない...と今回はとにかく言い聞かせているのですが、こんな入念に打ち合わせをしている時点で、それは無理なのかもと思いました。まあ自分たちにできることをやるしかないです。

 

最近ダニエル・ラノワ関連の作品をよく聴いています。ピーガブ「So」にロビー・ロバートソンのファースト、ネヴィル・ブラザーズの「イエロー・ムーン」が三大傑作でしょう。これらの凄さが最近までわからなかったのは、恐らくここから影響を受けたものが多すぎて、当時の新しさを実感するに至らなかったからだと思います。そういえばピーガブのゲート・リヴァーヴも、「ここから始まった」と知らないと斬新なものとしては聴こえないかもしれません。当時衝撃だった音...!とその衝撃を想像しながら聴くのは楽しいです。

 

初めて作ったZINEでも、「ピンク・レディーのUFOを当時に初めて聴く衝撃を自分も味わってみたかった」と書きました。自分が生きた時代に出た名盤・名曲の衝撃を書き残しておくのは必要かもなと思います。ただ振り返ってみて、自分が「電流に撃たれた」記憶というのはあまりないです。強いて言えば...90~00年代初頭に、ティンバランドネプチューンズが作っていた曲は、MTVで新たに聴くたびに「スゲエエェ」と思っていました。テイ・トウワがラジオで「これが最新型です」と「I'm A Slave 4 U」をかけた日のことを、ぼくは一生忘れないでしょう。

 

若山