この半年間のできごとについて

デヴィッド・ボウイの死の1日前、ぼくは新潟にいました。そちらの友達やイベントに来ていたアーティストの先輩と名物の「ノッペ」なんかをつまみながら、新作の新しさが「老い」を担保に成り立っている...なんてことをしゃべっていたと思います。1日で「最新作」が「遺作」に変化することをその日はまだ知りません。

 

シーナが亡くなった翌週に、細野晴臣はラジオ番組で97年の彼らのアルバム「@Heart」から「オールズモービル・ロック」という曲をかけています。「まるでミック・ジャガーのようだ」とシーナの声をそのとき評していましたが、ぼくにはまるで違って聞こえていました。音の丸さ。すっとぼけ方。コンセプトの一部だった初期インターネットの、そのあまりの楽天性。そこと現在のモードの近似を細野さんに耳打ちする人がいれば、待たれる新作はおそらくまるで違うものになるはずです。

 

 今いくよ・くるよの漫才をよく聞いていたのは去年のことです。80年代、90年代の彼女たちの漫才を聞いていると、当時の「ボケ」がすなわち「壮大な嘘」であることに気付きます。「くるよちゃんどないしたん、そんなとこから足だして」「腕やちゅうねん」-これは「あるある」とは真逆のやりとりです。いつから、というか誰から、テレビのお笑いは「あるある」的発想が主流になったのでしょうか。

 

プリンスのライブ映画の追悼上映、泣きたくないと思ったのにやっぱり泣いてしまいました。プリンスのバンドには女性が多くいて、必ずそれぞれに見せ場があるのですが、意外と「男女関係」のせめぎ合いと関係無く見せ場が作られているんですね。シーラEの圧巻のドラムプレイも、やはり見ているうちに色気など吹っ飛んでしまうほど、プレイヤビリティにこそ焦点が当てられます。プリンスの、男性として、でない君臨の仕方。 I am something that you'll never understand、とはよく言ったものです。

 

追悼上映と言えばキアロスタミ。その上映回でぼくのとなりに偶然、40代の有名俳優が座りました。テレビや広告で見る彼の姿とほぼ一緒ではあったのですが、何かが違います。その何かとは、首です。ぼくは鑑賞中も横目でちらちら見ながら、昔アプリで出会った40代の人を思い出していました。その人が「今更ホワイトバンドを付けていた」ことにも幻滅したのですが、何よりその年相応に年輪が刻まれた、だるんとした首に、「脈なし」と判断したのでした。しかし実際には、有名俳優ですらあの首なのです。もう一回会ってみて「年輪」の深くにもっと魅力を探るべきだと、今なら思えます。

 

 

 

 

anoutaの新しいZINEを作るにあたり、受けを狙うとか、だれかのつぶやきに反応しつつとか、もしくは紙媒体に載せるものとしてとかそういうんじゃない書き物をしたいと思いました。思いつくまま、面白くしようとしないまま、文章をろくに校正もせず書くことが、ZINE制作のアティチュードとしてはいちばん大事なんじゃないか、そして自分に最も欠けている部分もそこなんじゃないか...

 

そんなことを思いこのブログを1か月だけ開設することにしました。Twitterへの依存を少し減らしたいという気持ちもあります。そのTwitterで「逆張り」というレッテルを張って(というか、誤用して)目線の均一化を強いるような人たちをぼくは軽蔑していますが、例えばその軽蔑をここで文章にしたくはありません。

 

こうこうこうでこう、というんじゃない文章を書きたいと思います。果たして毎日書けるのでしょうか。やってみないとわかりませんが、やってみます。

 

若山