アーチ

アーチに行こうかと思っていたのですが、疲れて行けませんでした。きっと素晴らしいパーティーだったでしょうね。

 

家に帰って、借りた「翔んだカップル」を観ていました。こういう映画の感想ってきっと「胸がキュンキュンする」とかなんでしょうが、どうだろう。よくわかりませんが、自分はひたすら重くなりました。リア充氏ねとかそういうことではありません。「映画の学校の風景」と「自分の学校の記憶」のあいだの距離は、「自分の学校の記憶」と「今の風景」よりも遥かに近いのです。自分は菅田将暉ではなく鶴見辰吾なのだとしたら、鶴見辰吾の「その後」は、ぼくのどこにあるのでしょう。

 

うまく年をとれずに未来に「固執」したまま、その実何十年も手も足も出ないおじさんというのがゲイの知り合いにはけっこういます。ぼくももうすでに、その手合いの仲間入りをしているのでしょうか。自分のなかに「悲惨さ」を認めるのはとても辛いのですが...これは無能な人間には仕方のない事なのですね。ひとりで噛みしめることにします。祖父母の家はもうありません。

 

若山