思い出すなら

予定通りブログは今日で最後にしようと思います。ブログを書き続けて精神的にしんどくなってしまった、知り合いのコント作家もいます。毎週楽しみにしていた大宮エリーのラジオも、そういえば昨日終わってしまいました。

 

今日は実家に帰ってきています。実はこの家も、10月初めに売却してしまう予定なのです。ここには書きませんでしたが、今月はちょくちょく帰省し荷物の整理をしていました。聖闘士聖矢やら宜保愛子の本やら出てきて懐かしかった。

 

20年以上暮らした家が無くなってしまうのは淋しいような気もしますが、意外と平気なのかなとも思います。もう別の場所で暮らして5年近く経っていますし。地元の同級生との交流も、ほぼ無い。会社からの行き帰りで毎日通過はしているので、懐かしいという感慨も生まれないでしょう。

 

だけど不思議なもので、夢によく実家の風景を見るのです。それも子供の頃の風景。いまは拡張されてしまった通りがまだ狭く、立ち退いたスーパーがまだあり、祖父母が時々やって来ます。そのスーパーでお菓子や、ふろく付きの本を買ってもらうのです。

 

去年祖父を看取ったので、祖父母と呼べる存在はいなくなってしまいました。祖父は晩年、子供の頃の話ばかりしていました。娘であるはずの母は祖父の姉と、孫のぼくは祖父の弟と同化し、祖父を取り巻く環境はほぼ、祖父の子供時代となっていました。驚くことに、妻(祖母)のこともほとんど口にしなかったのです。

 

そういうものなのでしょうか。だけどぼくは今こう思います。自分がいなくなる時、思い出すなら今がいい。仕事のこと、長く話す友達のこと、ベルの壊れた自転車のこと、雑司が谷の下り坂のこと、カセットテープで聴く最新の音楽のこと、ZINEのこと、シャツをインする着こなしのこと、1フレットと6フレットを行き来するコード進行のこと、酷い恋愛のこと、会えなくなった知り合いのこと、新宿のこと、大阪のこと、明日の予定のこと。それらをすべて、絶対に思い出したい。

 

ブログを毎日見てくれる人が何十人もいてくれたのはすごく嬉しかったです。ありがとう。

 

若山