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Sweet & Good Memories

うまくいっていること、新しく出会った人、定期的に「会えている」人、「聴けている」音楽、それだけを考えて毎日過ごせればいいのですが、どうしてもそうはいかない時期というのがあります。

 

ぼくのTwitterは「Twilog」という機能で遡れるのですが、それを見るとこの寒く乾燥した月に決まって「そうはいかない時期」が来ているようです。成長のなさを嘆くのは簡単ですが、たちの悪いことに、自分の心身には明確に「悪化」があります。ヴァセリンを毎日塗り込んではいるのですが。

 

そのTwilogで遡れる2011年の自分の書き込みに「会う!会う!会う!」というものがありました。なんだかORIGINAL LOVEみたいですが、どうやらこの時期ぼくは自分と同じセクシャリティの友人が増えていくことがものすごく楽しかったみたいなんです。

 

ホームパーティーみたいなんにもずいぶん顔を出していたと思います。美味しいものをすごく食べていた...そうそしてこの年は「同居」の準備をしていたのでした。震災のショックを埋めようとしていたところも無きにしも非ずなのかも知れませんが、もちろんその時はそんなこと思っていません。

 

夢中に「会って」いました。いろんな人に、いろんなところで。

 

どうして今こんなに淋しいところに自分はいるのかなと思います。自分でコントロールできない自分の感情が、すごくメールし合った人、ユルくバーで会っていた人、遠くに住んでいる人、とにかく様々な友人知人を「許せなく」なってる。

 

理由は色々です。近いと思っていた趣味が離れた、つぶやきを通じて嫌な人柄を想像してしまう、あまりにもコミュニティに寄りすぎて他者がいない、集団で同じことばかり喋っている。etc、etc。それらは専らSNSを通じて感じることなのではありますが、直接会った時に同様に思うこともある。

 

未来のないフジロックの人選に集団で(そう見える)盛り上がる、カセットカルチャーに対する酷い解釈、アイドルにしか新しさを見ない。根本的な「抵抗」の欠如。容易く集団を形成してしまうその自己愛な口調。と、敵意とその正体を的確に(これらのくだりが的確かはさておき)書ければ、収まりがいい文章になるでしょう。

 

しかしぼくはそれをやって、「わかった!」という風になりたいわけではないんです。わかって淋しくなって、それで何になるというのか。

 

出来事も友人も知人も、とにかく「わかった」気になりたくないんだ。そうならないための丁度いい「距離」とは、身体や会話やSNSの錯綜の、一体どのあたりにあるのか。それを発見しないとこの先、「いつまでも孤独を味わうことになる」。

 

口調が変わってしまいましたがこれを書いとかないと、今年乗り切れないような気がしてしたためました。久しぶりに書く文章がこんなで申し訳ないです。

 

若山